2011年3月11日 金曜日
13年前のあの日、あの時間のことは忘れられない。
昼食後、駅ビルにある量販店に買物に行っていた。揺れが始まってしばらくはじっとしていたが、その店のワゴンが動き始めた。
その直後に「外に出てください」という店内放送。あわてて外に出ると多くの人が駅前の広場に出てきていた。
それからはすぐ近くの自宅で家族の安否を確認した後職場へ戻り、片付けなどに追われた。
そして、ほとんど繋がらなかったが、仙台の知人に連絡したり、地方にいる家族からの連絡に家族は特に心配ないという返事などをしていた。
忘れられないのは、夜中帰宅するときに街灯の消えた幹線道路を都心から郊外へ歩いて行く多くの人の流れだった。
阪神淡路大震災、東日本大震災、そして今年の能登半島地震等たまたま自分がそこにいなかったのは、たまたま運が良かっただけだと時折思う。
犠牲になられた方々のご冥福をお祈りすると共に、わずかでも自分に出来ることはやっていきたいと思うこの日。
「3.11」や「1.17」という記号化した言い方は今になっても気に入らない。
3月11日金曜日という日常の中のあの日であることを忘れないことが大事だといつも思う。